2020_1128_131844 【66】香里6号踏切
香里園駅から数えて6番目の踏切です。
できた頃は田圃の真ん中とか名無し同然の踏切だったのでしょうね。
Albums: ◎こ)交通機関・鉄道・踏切
Tag: 香里6号踏切
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Comments (4)
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昭和40年頃、父の会社の保養所が香里園の山手の方にあって夏休みといえば枚方で過ごすことになっていました。現在では考えられないですが都会では味わえない自然の中で楽しく遊んだものでした。
01-15-2021 09:40 kame (11)
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↑kameちゃん。大体の年齢が知れてしまいましたー (^_^;)
その頃は、ワテは中学~高校ですな。。01-15-2021 17:45 中古のふ (11)
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kameさん
☆とコメントありがとうございます。
昭和40年頃といえばドーナツ化現象拡大の直前、その数年後あたりから寝屋川、枚方で大規模住宅分譲や公団住宅の開設が急速に進んで街が変貌を遂げていったと思います。
夏には石清水八幡宮の麓の木津川に水泳場が開設されて今の須磨海水浴場みたいに賑わってた頃ですね。子供心に何となく記憶があります。(これもひらパーにプールができた年になくなったようですが。)沿線も超長閑だったと思います。川にビーチパラソル立ってて泳いでたって・・
http://photozou.jp/photo/show/251552/248929731
今でもそういう傾向ですが、街が変貌するといっても開発が奥へ奥へと進んで人が増えてもインフラ整備はだいたい追いつかなくて不便を強いられる、でもそういう郊外の長閑さを求めて移り住んだこともあってある程度は辛抱はしてて、でもさすがにええかげんにせぇよ、と思いはじめた頃にちょっと改良が追いついてくる、そんな感じを繰り返していると思います。01-16-2021 07:19 キューチャン (34)
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中古のふさん
☆とコメントありがとうございます。
私は小学生に上がった頃かな~。ここから昭和45年の万博に向けてが高度成長のクライマックスですね~。粘土細工の太陽の塔づくりに熱くなっていました。
今もちょうど万博5年前ですがまた全然空気が違ったんでしょうね。
万博の遺産で道路や鉄道や街が良くなるのでそれはそれで大きく期待していますが
本体の方は「いのち輝く未来社会のデザイン」ってテーマ言われてもまだピンと来ませんね。
「人類の進歩と調和」の時代と違ってみんな情報に肥えててちょっとやそっとでは新しいものには驚かなくなりましたし、大阪万博や上海万博経験して万博ってこんなもん、とだいたい知ってますからねぇ。
(って、若い人には生まれる前のことやし知らん!と言われそうですが。)
ぜひ「あっ!」と言わせて欲しいものです。01-16-2021 07:39 キューチャン (34)
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