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三井合名会社が設立される 1909年10月11日

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写真: 三井合名会社が設立される 1909年10月11日

写真: 松尾芭蕉(俳人)の忌日 元禄7年10月12日 写真: 森山大道(写真家)誕生日 1938年10月10日

明治の半ば、急速な発展を遂げる三井の企業には、
統一的な経営管理機構の整備が必要とされるようになっていた。

明治26年(1893):当時の三井家最高議決機関である「三井家同族会」が設立。
明治26年(1893):三井組を「三井元方」に改称。
明治29年(1896):統括議決機関として「三井商店理事会」を発足。
明治33年(1900):「三井家憲」を制定。
明治35年(1902):三井家同族会と三井営業店重役会とを仲介する「同族会管理部」を設置。
明治42年(1909):三井合名会社を頂点とするコンツェルン体制を確立し、組織整備を完成。

ここに、三井家の11名のみを出資社員とする合名会社、日本初のホールディング・
カンパニーが設立され、また三井家以外からも團琢磨など5名の参事が選任された。
この「三井合名会社」の設立によって明治以降から近代における、三井グループの
組織的な基礎が築かれた。


三井財閥の先祖は伊勢商人で、慶長年間に武士を廃業した三井高俊が、伊勢松阪に「質屋」
兼「酒屋」を開いたのが起源とも云われる。

三井高俊は、質屋を主業に酒、味噌の類を商い、「越後殿の酒屋」と呼ばれて、これがのちの
「越後屋」の起こりとなる。
高俊の四男高利は、伊勢から江戸に出て1673年(延宝元年)越後屋三井呉服店(三越)を創業。
京都の室町通薬師町に京呉服店(仕入れ部)を創業した。
その後京都や大阪でも両替店を開業し、幕府の公金為替にも手を広げ、両替商としても成功し、
幕府御用商人となり屈指の豪商となった。


三越は、2008年(平成20年)4月1日に伊勢丹と共に、株式移転によって純粋持株会社の
「株式会社三越伊勢丹ホールディングス」を設立、その傘下となって経営統合をしている。

この経営統合の裏には、三重伊勢に関連する両社の共通の歴史が存在するのかと思ったが、
伊勢丹は1886年(明治19年)、初代の小菅丹治が中山道沿いの東京府神田区旅籠町(現:
東京都千代田区外神田)に伊勢屋丹治呉服店を創業したのが始まりとされているとの事で
屋号の「伊勢丹」と三重県の伊勢との関連は無さそうだった。


写真は、東京都中央区日本橋室町にある三井本館。

三井不動産保有のオフィスビルで、越後屋の跡地にある。
また、上記、團琢磨(戦前の三井財閥の総帥)暗殺の現場でもある。


今年のGWに、秋田から遊びに来た甥っ子のリクエストで、
日本橋三越へ買い物に行った際に撮影した。

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コメント (2)

  • きしめん 百八

    あらら、そんなところで暗殺されちゃったら、今の天皇の成婚の時の「祝典行進曲」が作れる筈がない、変だな〜と思って調べたら全くの別人物でした。
    実業家…団琢磨 作曲家…團伊玖磨 でした。勘違い一つクリア。

    古関裕而のオリンピックマーチは有名ですけど、団琢磨、じゃなくて団伊玖磨の祝典行進曲はなかなか気品があっていいですよ。

    2014年10月11日 09:16 きしめん 百八 (5)

  • 熊野牟 秀太

    琢磨さんと伊玖磨さんは、祖父と孫の関係でもありますね。
    遠縁には、あの鳩山さんもいる。

    当時世田谷に親戚がありました。オリンピックの前か後かは分りませんが、
    代々木競技場内の公園で、親戚が集まり記念写真を撮った事が、自分の
    最も古い記憶として残っています。
    あのオリンピックが、また東京に来るのですね。

    2014年10月11日 10:02 熊野牟 秀太 (16)

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