2016_0417_163509_水晶橋
堂島川にかかる水晶橋です。
立派な歩道橋ですが、昭和4年の建設当時は堂島川可動堰という堰でした。
大阪は水都というだけあって当時はこの堂島川はじめ、市内の主要な河川から小さな水路が網の目のように張り巡らされていました。
明治43年に新淀川が開削され、この上流の毛馬から淀川が直接大阪湾に注ぐようになり、防災上は飛躍的な改良がなされましたが、市内中心部への水量が減ったことで、小さな水路の水は澱みがちとなって水質の悪化が顕著になってきました。
その対策として、この可動堰が設けられ、渇水期にはここを堰き止めて支流の水路に水を回し水質改善を図ることが考えられました。
写真左側のスパン3つ分が堰となっており一番右は船の通れる閘門になっていました。
しかし、その後細かい水路は急速に埋め立てられてゆき、この可動堰も役目を終えて、昭和57年には正式に「橋」に変わりました。
アルバム: ◎お)大阪・中之島
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コメント (4)
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がんちゃんさん
☆ありがとうございます。2016年4月18日 22:26 キューチャン (36)
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こぱるすけあさん
☆とコメントありがとうございます。
そういう目で見るとただの歩道橋なのに橋の上に機械室への入口の扉のようなものがやたらたくさんあったり、一番手前のスパンのところだけ水路が区切られて閘門の痕跡が残っていたりと「あ〜、そういうこっちゃ」という仕掛けがいろいろ見えてきますよ〜。2016年4月18日 22:33 キューチャン (36)
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中古マニアふさん
☆ありがとうございます。2019年2月16日 00:25 キューチャン (36)
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近くで働いてるのに
こんな歴史は知りませんでした(^^)
2016年4月18日 20:21 退会ユーザー