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2024_0502_110214 宇治川右岸堤防

写真: 2024_0502_110214 宇治川右岸堤防

写真: 2024_0502_110747 碾茶畑とお茶の京都トレイン 写真: 2024_0502_105903 太閤堤跡

太閤堤は現在の宇治川右岸堤防に沿って見つかっています。
滋賀県にある琵琶湖の湖水の唯一の流出口が石山寺にほど近い瀬田唐橋のかかる瀬田でそこから比較的急流の山の中を下った水が京都盆地に一気にドバっと流入して広大な扇状地を形成していました。流入口にあるのが宇治でそこから下流は河道がはっきりしない沼地で、沼地の下流の京都盆地南端で東から来る木津川、北から来る桂川と合流して淀川となり大阪平野に流れ出ていました。
沼地は度々氾濫を繰り返していたので秀吉が河道と沼地をはっきり分ける大きな土木工事を行わせ、沼地の北辺に沿って堤防で仕切られた河道が今の宇治川(淀川本流)となります。沼は巨椋池となり昭和初期まで存在しましたが、宇治川の整備に伴って水の出入りが減少し、あまり水質の良い沼ではなく干拓されて現在は広大な農地が広がっています。

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コメント (4)

  • kame

    >比較的急流の山の中を下った水が京都盆地に一気にドバっと流入して
     雨で増水したときなど濁流の流れが激しくて中の島も立入禁止になりますよね。地形的な条件でそうなっちゃうのですね。古典文学おばさんの私は源氏物語の宇治十帖で浮舟が身投げしたことを思いだして こういうとこに飛び込んだら確実に死ねそうやな・・といつも思います。(物語では助かるのですが・・)

    2024年5月8日 08:48 kame (12)

  • キューチャン

    がんちゃんさん
    ☆ありがとうございます。

    2024年5月11日 10:14 キューチャン (36)

  • キューチャン

    honda-Zさん
    ☆ありがとうございます。

    2024年5月11日 10:14 キューチャン (36)

  • キューチャン

    kameさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    今となっては宇治も普通の街が広がっているので特段そんな立地にあると思えませんけど確か宇治川花火大会も打ち上げ直前のゲリラ豪雨で中の島がやばくなって避難騒ぎが起きて以降は有効な対策がないということで花火大会自体がなくなってしまいましたものね。
    素人考えには花火大会の前に天ケ瀬ダムすっからかんにして備えたらええやん、とか思いますが、たかが花火大会のために夏の深刻な電力不足、というわけにも行かないのでしょうね。

    宇治橋はまだトラックやバスも渡る大きな橋なのでそこまで思わないですけど人道橋の朝霧橋は増水してるときは気持ち悪いです。
    そんなときでも(見た目は)余裕でプカプカ波間に浮かんでる水鳥の皆さんの超身体能力には感心してしまいます。

    2024年5月11日 10:35 キューチャン (36)

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