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03.銀閣寺(慈照寺) ご由緒板

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写真: 03.銀閣寺(慈照寺) ご由緒板

写真: 02.銀閣寺 境内案内図(旧) 写真: 04.観音堂

「銀閣寺」 とは、実は江戸時代の人が勝手に名づけた名称で、本当は 「東山慈照寺」 という名の臨済宗の禅宗のお寺が正式名称です。

読みは “とうざん じしょうじ” というのが正解で、たまに「ひがしやま じしょうじ」とか書かれているサイトも見かけますが、わび・さびの元となる東山文化の発祥地なのですが、お寺の名前は “とうざん じしょうじ” です。

ということは、金閣寺も正式名称は “北山 鹿苑寺” で、当然読み方も 「ほくざん ろくおんじ」 と読みます。ちょっとしたことですが、たまに間違えているサイトを見かけますので、ここに指摘しておきます。

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ところで創建当初から銀箔など貼られていないのに、なんで銀閣寺になったのか全く意味不明ですが、日本文化の源流ともいえる室町文化、その後の豪華絢爛だった安土・桃山時代に比べ、徳川の安泰ばかりを考えた反動なのか飢饉や天災が相次いだ江戸時代は、私個人的な主観では日本の歴史的にはあまりいい時代とは言えず、全般的に貧しかった江戸時代、銀閣寺などと名付けたのは半分やっかみなのかと勘ぐってしまいますね。

先日ふと書店で手にした、磯田道史氏著「天災から日本史を読みなおす」という新書本、秀吉の時代が終焉となるきっかけが慶長地震だったそうですが、その後に続く江戸時代の災害の非常に多いこと、いくさも無く太平の世が続くのにこれでは暗黒の時代そのものですが、当みんカラのブログ、「2012年富士登山」の連続ブログの一番最後、静岡島田の蓬莱橋のところで詳しく書きましたが土木工事の発展に乏しかった、あまりにも保守的過ぎた江戸時代、これでは防げる天災も防げませんよね。

やはり文化が発展しないと世の中が良くならないという事例なのでしょうね。

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