ゲタがカラカラによって暗殺される 211年12月19日
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ゲタの父は、セウェルス朝の初代君主セプティミウス・セウェルス。
ゲタと、兄のカラカラは同じく、セプティミウス・セウェルスと、その後妻ユリア・ドムナの
間に生まれている。
セプティミウス・セウェルスはアントニヌス朝断絶後の内乱を制してローマ皇帝に即位する。
ここに、ローマ帝国史上初となるアフリカ出身の皇帝が誕生した。
セプティミウス・セウェルスが帝位に就くと、兄カラカラは副帝に叙任され、後継者である事
が内外に示された。(セプティミウス・セウェルス在位:193年4月9日 - 211年2月4日)
そして、この事は二人の兄弟仲を切り裂き、ゲタとカラカラは、お互いを憎むべき政敵として
忌み嫌うことになってしまう。
209年、父セプティミウス・セウェルス帝はゲタをなだめる為、カラカラに続いてゲタを副帝
に叙任し、これで形の上では両者は対等となった。
軍隊出身のセプテミウス・セヴェルスは、元老院を無視し独裁者として君臨する一方、兵士
の給料を上げしたり、結婚を許可したり、将兵を優遇する等の政策を次々に行った。
それは、将兵からの歓迎を受けたが、その優遇政策により将兵の闘争心も奪われ、後のローマ
軍団の戦力低下に繋がった。セプテミウス・セヴェルスは晩年、属州ブリタニア遠征を行うが
目的を果たせぬまま、エボラクム市で病没している。
211年、父の遺言により、直ちにカラカラとゲタが皇帝に即位して新しい治世が始まった。
兄弟二人による「共同皇帝制」である。
しかし、兄弟は官職叙任から法律解釈に至るまで、全ての分野で激しく対立した。
カラカラは、ゲタに対する暗殺未遂を何度か繰り返した。そして、両者の母ユリア・ドムナが
用意した和解の場で、ついにゲタ帝はカラカラ帝と結んでいた百人隊長に刺殺されてしまった。
共同経営や、共同代表など、たいていの場合うまくいかないのは世の常で、
まして絶大な権力を持つ大ローマ帝国皇帝となれば、それは絶対に不可能だと思う。
写真は、明日のお天気を知りたい時に欠かせない下駄。
利き足に履いている下駄を、ボールを蹴るような動作で宙に高く放る。
弧を描くように落ちてきた下駄は、地面でカラカラと音をたてて転がる。
地面に落ちて静止した状態から、「明日の天気」が分かるという優れもの。
本来、ゲタとカラカラは、このように相性が良いはずなのだが・・・
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コメント (2)
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先日、ケーブルテレビで横溝正史の古いドラマを見ました。古谷一行さんが下駄履いて走っていました。早くは走れない。どーしてあんな不便な物を、と思いました。
今では田舎の古い旅館でも、トイレに下駄は無いですね。高級な旅館だと庭を散歩するために置いてあったりしますが。歩きにくそう。2014年12月19日 19:44 きしめん 百八 (5)
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旅館のあれは、こんな意味があるようです。
宿泊客が、カランコロンと音を鳴らしながら街を歩く。
通りのスナックなどでは、その音を聞いてドアを開け、
『いらっしゃ〜い!』と2014年12月19日 20:23 熊野牟 秀太 (16)
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