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鹿鳴館に日本初の電燈が燈る 1887年1月22日

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写真: 鹿鳴館に日本初の電燈が燈る 1887年1月22日

写真: 千葉県八日市場市と1町が合併して匝瑳市に 2006年1月23日 写真: 宮崎県知事選挙で、そのまんま東氏が当選 2007年1月21日

東京電燈株式会社は、日本初の電力会社として、1883年(明治16年)2月15日に国から会社の設立許可を受けた。
設立願は、明治15年(1882年)に提出されたが、その際の発起人には大倉喜八郎(ホテルオークラや大成建設を設立)や原六郎(第百国立銀行などを設立)ら、財界人数名が名を連らね、設立願の書き出しは、こんな文面から始まった。

《燈火は人間社会の必要品にして1日も不可欠物に御座候処、その元質たる植物油・動物油・ 石油・ガスの如き、みなこれを製造するに巨大の資本と夥多の労力とを費やさざるを得ず。従ってその代価、不廉に相成りために、いまだ「社会光線」の需望を満足せしむる能わず》

東京電燈会社は、1886年(明治19年)7月5日に企業活動が開始され、1887年1月22日には、移動式発電機により鹿鳴館に日本初の電燈を燈らせ、営業も開始された。

1887年(明治20年)11月には東京の日本橋茅場町から電気の送電を開始する。また、この年の末には、火力発電所を茅場町や麹町など、東京5カ所に設置する工事を始め、直流送電を行う。
しかし、明治27年(1894)、日清戦争が始まると旺盛な電力需要の高まりに交流送電への転換を余儀なくされ、1893年(明治26年)には、200kWの国産大出力交流発電機を備えた浅草火力発電所の建設を始めることになり三年後に完成をさせている。
浅草発電所の発電機は、石川島造船所(現IHI)が製作したもので、交流200kWの出力は自慢であったが、残念ながら故障が多く、ドイツのアルゲマイネ製発電機を併用した。

この発電機が50Hzで、これに先立って関西の大阪電燈がアメリカゼネラル・エレクトリック製の交流60Hz供給発電機を採用した為に、現在まで続く、日本の東西で商用電源周波数が異なる原因となった。


当時の電灯数の増加推移は、明治21年の138灯が

明治34年……5万灯
明治35年……6万灯
明治36年……8万灯
明治37年……9万5000灯

と増加の一途で、明治36年上期に28kWだった電力供給量は、同年下期で562kW、明治37年上期で1094kWとなり、明治37年から始まった日露戦争によって電力不足に悩んだ東京電灯は、更に巨大な発電所の千住火力発電所(日本初の蒸気タービン発電所)を設置した。



【競争と買収・統合】
東京電燈の開業以降、日本各地に雨後の竹の子のように電力会社が誕生する。また明治25年からは水力発電による送電も始まった。そして明治から大正末期になると大規模な水力発電、遠距離送電も可能になり、電力各社は競争状態から、さらに過当なダンピングが行われるまでに至った。この競争は1917年(大正6年)に協定が結ばれたことで終結し、大正末期には地方も含めて電力会社の統合が進み、東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力5社が、「五大電力会社」と呼ばれるようになった。


【9配電会社設立】
戦時体制下、電力事業の国家による統制が望まれるようになる。1938年(昭和13年)には「国家総動員法」とほぼ同時に「電力管理法」・「日本発送電株式会社法」・「電力管理に伴う社債処理に関する法律案」・「電気事業法」が、制定され、1939年(昭和14年)には、それに基づき国策企業の日本発送電株式会社が設立、同年8月には、「配電統制令」が発布、東京電燈を始めとした電力会社は日本発送電と関連する関東配電株式会社など、9配電会社に統合され、1発電9配電体制が確立した。
また、東京電燈自体は9配電会社設立に伴い、1942年(昭和17年)3月をもって解散した。


【日本発送電の分割】 
戦後、日本発送電は現在の9電力会社(沖縄を入れて10社)に分割された。現在は北海道電力、東北電力、東京電力、北陸電力、中部電力、関西電力、中国電力、四国電力、九州電力、沖縄電力となっている。






写真は、江ノ島電鉄の「鎌倉高校前駅」近く。


関東に設立された電力会社には、鉄道事業を副業としたり余剰電力を用いて鉄道事業を行っていた会社もあった。1900年(明治33年) に設立された「江ノ電」の歴史にも、電力会社と関わっていた記録が残っている。


1911年(明治44年)10月3日:
横浜電気株式会社という電力会社に買収され「横浜電気株式会社江之島電気鉄道部」の運営となる。

1921年(大正10年)5月1日:
横浜電気が東京電燈株式会社に買収され、同線の運営も引き継ぐ。

1928年(昭和3年)7月1日:
江ノ島電気鉄道が東京電燈江之島線を買収。(東京電燈が、電力事業へ専念するため)

これが縁で江ノ電の架線柱は現在も東京電力の電柱を兼ね、架線柱の片側が異様に長く、その先には電力線やコンデンサ等がぶら下がっているらしいが、未確認。


「江の島」の動画(スライドショー)をYoutubeにアップしました。
https://youtu.be/zKtpJ_U-msI

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コメント (2)

  • きしめん 百八

    ちょうどいい機会なので鹿鳴館について検索して調べてみました。
    すると、重大な事実が判明しました。
    あれは4年ほど前のこと、ヤフーみんなの検定のコメントのやりとりで、鹿鳴館での会食に招待されたので学芸員の案内で見学してきました、というのがありまして…
    今日という日まで「自分もいつか見に行けたらいいな。」と思っておりましたら…
    全くの嘘っぱちだったんですね。とっくの昔に解体とはね。
    いや〜全くの鮮やかな法螺話、脱帽です。

    「自分もいつか、こんな法螺話が出来たらいいな。」

    2015年1月22日 16:39 きしめん 百八 (5)

  • 熊野牟 秀太

    >きしめん百八さん

    きしめんさんも、十分に法螺話の達人だと思いますよ。
    ただ、最後に「うそ」と書いてくれる人間性の違いがあるだけで。

    2015年1月22日 17:02 熊野牟 秀太 (16)

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