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グアム島で元日本兵を発見。終戦から28年目 1972年1月24日

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写真: グアム島で元日本兵を発見。終戦から28年目 1972年1月24日

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太平洋戦争(大東亜戦争)終結から28年目、アメリカ領グアム島で残留日本兵が、地元の猟師によって発見された。


【横井庄一(1915年3月31日 - 1997年9月22日)】
日本の陸軍軍人、評論家。最終階級は陸軍軍曹、栄典は勲七等青色桐葉章。

1941年(昭和16年)の再召集で満州に配属される。1944年(昭和19年)からはグアム島の歩兵第38連隊に陸軍伍長として配属。同年7月にアメリカ軍が上陸、8月に同島で戦死の公報が届けられている。
しかし、グアム派遣から約28年後の1972年(昭和47年)1月24日、エビやウナギをとるためのウケを仕掛けに行ったところで、現地の行方不明者を捜す村人たちに遭遇し、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した。


【グアムの戦い】
マリアナ諸島にあるグアム島は、大戦開始前にはアメリカの統治下にあったが、1941年12月10日、日本軍による攻撃によって日本の占領下になっていた。
アメリカ軍は、これを奪還すべく第77歩兵師団と第3海兵師団を派遣した。
1944年6月11日、アメリカ軍の徹底的な攻撃が開始され、7月21日、アメリカ軍4万5,000人が上陸を開始、横井の所属する第38連隊はアメリカ軍上陸の初日に9割近い戦死者を出した。


【ジャングルでの逃亡生活】
司令部との連絡が絶たれて孤立した彼らは、それでも日本は必ず勝つと信じてジャングルに身を潜め、援軍が来る日を待つことになる。そして敵から身を隠すために、川に沿ってジャングルの奥深くへと入っていく。わずか2ヶ月で、グアムはアメリカの手に落ちる。
しかし、その状況すら知らず横井たちはひたすら身を隠し、いつ襲われるか分からない恐怖と戦っていた。
食料のある所は敵に見つかる危険が高く、空腹に耐えながらも、ヤシの実などで食いつなぎ、常に飢えている状態が続いた。


【終戦】
グアム守備隊は、壊滅後も生き残った一部の将兵(横井ら)が山中に撤退し、ゲリラ戦を行っていた。
しかし、1945年(昭和20年)の、ポツダム宣言受諾により日本軍が無条件降伏をした事が、彼らに知らされることは無かった。


【横井ケイブ】
横井が太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦を知らず、約28年間もの間、グアム島のジャングルで潜伏生活を送っていた際に、住居としていた地下壕。
そこでの生活は、満月を数え1ヶ月ごとに木に刻んで年月を把握。仕立て屋を職業とし、手先が器用だった横井は、籠等の仕掛けを作り、ネズミなどの小動物を捕まえたり、川では、うなぎやエビを捕まえて食料とした、また、水筒を半分に割り、飲み口には竹を刺し、それを持ち手にしたフライパンを作ったり、その水筒の半分で「おろし金」を作るなどをした。

やがて、横井たちは穴を掘り地下で生き延びる方法を選ぶ。また、穴掘りと並行してランプを作る研究も行った。ココナッツミルクを火にかけアクを取り、アクを再び火にかけると油と水が分離する。この油にヤシの繊維を編んで浸して燃やしランプとする。
油を手にいれたことで食生活も変わり、ソテツの実を砕いた粉に食材をつけ油であげ天ぷらにして食べりもした。

住居として完成した穴の出入り口は、竹で作ったスノコや葉っぱで隠した。
木の梯子を1.5mほど降りた場所に居住スペースを作る。その後それまで生活を共にしていた年下の二人との意見の衝突などもあり、横井は一人暮らし用の住居を作ることになる。
これには、決別したはずの二人の応援も得て、約3ヶ月で完成できた。深さ1.8m奥行き6mの空間、そこに棚や釜戸、竹の葉を敷いた寝床、さらには5年の歳月をかけて井戸や水洗トイレまで設置した。草履や機織り機まで作り、服も作ったと云う。


【横井の発見まで】
1960年、グアムのジャングルで横井たちとは別行動をしていた日本兵二人が発見され帰還。
その際、彼らは『まだジャングルに日本兵が潜んでいる』と語り、日本政府は調査団を組んで、グアムでの日本兵探しを3週間行ったが、この時は誰も見つけ出すことが出来なかった。

1964年、横井は久しぶりに喧嘩別れした二人の穴を訪ねる。しかし、二人は既に死んでいたという。

1972年、横井は現地の村人たちに遭遇、28年ぶりに祖国の日本へ帰国することになる。
苦労を共にした二人の遺骨も、同じ飛行機で帰国し遺族の元に届けられた。







写真は、グアム島の空。

彼らは、変わりゆく飛行機の種類や形状を、空を見上げ、眺めることも多かったのだろうとも思う。

現在のグアム島の光景
http://photozou.jp/photo/list/2506004/8438100


「ちょっと怖いグアム島」の動画(スライドショー)をYoutubeにアップしました。
https://youtu.be/6vreoxZD03o

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コメント (2)

  • きしめん 百八

    小野田さんが短波ラジオを入手してある程度まで世界情勢を把握していたのに比べ、横井さんのほうはあくまでも残留兵として生き延びていたようですね。

    2015年1月24日 13:50 きしめん 百八 (5)

  • 熊野牟 秀太

    しかし、そのラジオからの情報を「米軍の策略」と信じてもいたようですね。
    そして、まだ戦争は終わっていないと。

    2015年1月24日 16:08 熊野牟 秀太 (16)

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